月光 1986~1988
全16点 前半8点が1986年東京画廊、後半8点が1988年北九州市立美術館にて発表された。
天動説から間を置かずに発表された作品群で、前作のオブジェと平面の中間的作風から鉄棒などのオブジェ的要素が消えより絵画的な作品へと変化している。
本人曰く「実際オブジェを作り始めると、あまりにもそれは具体的実証的で真っ向から絵をやっつけ始めた。そのオブジェを自分の中に抱え込んで、今度はそれを絵画、つまり平面でねじ伏せてみようと思った」―《なぜ「オブジェデッサン」か? 1974年11月4日夕刊フクニチ》より
60年代に作り貯めたオブジェをシルクスクリーンに写し取り、それに絵画的加工を加えた70年代半ばの版画の時代を経て、ようやく「オブジェを絵画でねじ伏せられる」ようになったのではないだろうか?
細かい瘤のような絵具の盛り上がりが蝟集する画面、そこには絵具すらもオブジェの要素に変質させようとする「意志=ねじ伏せ」が感じられる。
そして以降の作品に共通し、菊畑茂久馬の代名詞ともなる“深く暗い青”が登場するのもこのシリーズからである。
7歳の茂久馬少年が預けられた長崎県五島・中通島の夜の海を思わせる果てしなく暗い青。「青い瘤が波頭、平面の部分が月の光の照り返し」というのは凡人の僕が思いつく解釈であるが、「それならば何故月の光が黄色ではないのか?」という話になる。
そもそも本人は「彩色」というモノを信用していない。それらしく色を付ければつけるほど絵は対象の本質からズレて行く。
「もの自体が持っている生々しい物質感が平面絵画の芸術性を疎外するのだ」《月光制作ノート 1985年》
芸術的表現と正反対のベクトルを歩み続けた画家が20年かけて掴み取った表現がこの「深く暗く重い青」なのであろう。
この月光シリーズにおいてその後の30年の歩みが決定づけられたと言えるかもしれない。
2023 2・9 T.K




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