1990-92
初出は1991年2月カサハラ画廊にて。 「海 暖流1~4と6」「海 寒流1~4」「海101~106」「海109~111」「海114」の19点。
その後やはり2月にアートミュージアムギンザにて「暖流5」を、翌92年3月パシフィコ横浜~NICAF92にて「暖流7と8」を発表した。
実は、このシリーズは元々は前作の「海道シリーズ」の続編として描き始められた。
「続・海道シリーズ」として完成直前に、キャンバスに厚く塗られた絵具を削り落とし、色の配合を変えた絵具でマチエールを作り直す。さらにその表面に木べらで無数の線を刻み、当初とは全く違う絵へと変貌させた。
そして海道23は寒流2に、海道24が暖流1に、海道25は寒流1になった。
このへんの経緯は、1990年10月放送のNHK福岡制作番組「ぴーぷる九州 青に挑む画家菊畑茂久馬」に描かれている。





曰く「深海の生物のような、命の原型のような…どんな形でもない初めて見るようなそんな絵になれば良いな、と思います」(同番組より)
これがこのシリーズの意図である。
言葉にすれば簡単だが、それをどうやって絵として表現するか?
絵の中央から盛り上がってゆく「命の原型」に生を与えなければ…
絵を削り絵具を変え中央部の生き物との格闘が始まる。
筆者はこの絵を最初に見た時直感的に「鯨だな」と思ったのだが、本人もそのイメージがあったようだ
少年時代に預けられた五島では黒潮から別れた対馬暖流に乗って遡上した鯨が漁師に狩られ、五島今里の浜に陸揚げされる。
少年茂久馬はそれを見ていた。
「身体中に牡蠣やら小魚やらいろんなものが群れてて…全身に付いてる。それでもね孤独でしょ?鯨。 俺も鯨かな…」
フジツボや海藻のついた腹、随伴する小魚たち。騒がしくはあるが仲間ではない。やがて漁師たちに腹を割かれ喰われる
「命の原型」はそこにあった。
抽象的な命ではなく、実感できる命。自分の命の在りようを鯨に仮託した事で「海」という漠然としたテーマが「光景」「臭い」「手触り」として実感できた。海流に乗って漂泊する鯨。母なる暖流と峻厳な寒流が交わるところに生命は爆発する。
「おふくろを見ても五島の島育ちだし、親父は親父でまったくの漁師ですから、このへんを触るしか活路は無いと思ったのかな…」
茂久馬は番組内で独白のように語る。
一見、ずっとテーマとして温めて来た海、暖流を母、寒流を父、自身を鯨として描いたという事のように思える。
しかし筆者には茂久馬にとっての父のイメージとは、三歳で死別した実の父ではなく義父石井哲夫のイメージであると思うのだ。
1960年から1993年までずっと同居して来た義父。頑固で融通が利かず明治気質の男であったから二人は何度も衝突した。それでも妙にウマが合ってお互いに好いていたと思う。
その義父が90年頃からめっきり衰えだした。親の衰えは自身の年齢を意識させる。当時55歳。200号の大作をあと何枚描けるだろう?「親」に触るなら、今しかない。
吸い込まれるようないつもの青と打って変わった峻厳な暗灰色は、義父哲夫のイメージと合致する。
テレビ番組の中で自身の年齢に度々触れているのは偶然では無いだろう。
15歳で死別した実母カツと33年間共に暮らした義父哲夫。二人への濃厚な想いがこのシリーズには込められていると思う・(菊畑拓馬)

2023/7/9 文・画像追加 更新